健康でいられることって、普段はなんとも思わないけど
病気になったときに、初めて健康でいられることのありがたみがわかる。
えっちもそれと同じで
パートナーがいて、定期的にえっちをしている女性は、
当然のようにえっちを楽しんでいるけど
そのありがたみは、失って初めて気がつくものだ。
例えば、パートナーがいてもセックスレスになった場合、
パートナーがいない女性の場合、悩みは深刻だ。
特にえっちのよさを知ってしまった女性なら、尚更のこと。
もっとも女性の場合、
男とちがって、えっちしないならしないでも、
数週間、あるいは数ヶ月
さらには数年と過ごしてしまうことがある。
そして、いつの間にか、無くても平気というようになる。
ところが、ある時を境にすごくえっちに目覚めたりすることがある。
それは、レディスコミックに掲載されているようなえっちな描写がきっかけだったり・・
官能小説であったり・・
はたまた、僕が書いてる「えっちな日記」もえっちな感覚を目覚めさせてしまうかも知れない。
男は直接的なことで凄く興奮したり
興奮を発散出来なかった場合はそのまま悶々としたりする。
スカートの下から白い太腿だったり
エロい透け透けのパンティを見てしまったり
お○んこそのものを見てしまったり・・
でも女性の場合は男と違って
直接、男性のおちんちんを見ることよりも
えっちな描写で想像を膨らませてしまうほうが刺激が強かったりする。
そして、そんな女性が久しぶりにえっちして
男に愛され
オーガズムを味わうと
女としての身体が生き返る思いがするようだ。
例えば、肌と肌をあわせた時
身体中の血が逆流し、
「ああ、これが、男の匂い、男の温かさだったんだ」って思う。
男に抱きしめられ、キスをされ、股間を舐め回されると
今まで忘れていた女の部分が
まるで生き物のように蠢き始めて、濡れてくる・・
こうして、えっちによって女であることを思い知らされると、
それまでえっちをしてこなかったことを悔やみ
「もっとえっちを楽しまなくちゃ!」という思いに駆られる。
遅まきながら、えっちを楽しむというのは人生の中でも大切なことだと実感する。
こうなると、女は変わってくる。
えっちで肉体的にも、精神的にも
ますます「女」になっていく自分をみて
えっちって、ただ楽しむものというよりは
女にとって必要なものというように変化してくる。
女はえっちによって、より女性らしさを維持できるようになるのだ。
こうなると、女のえっちは一皮むけてくる。
快楽に対しても貪欲になる。
そうなると、たかがえっち・・ではなくなるのである。
あたるのブログが良かった時は
ランキングバナーの
応援クリックしてね(#^.^#)
FC2ブログランキング
人気ブログランキング